流言・デマによるパニックを心配して情報を伏せている方々へ

静岡大学防災総合センター教授 小山真人

(2011年4月2日記、6月16日静岡新聞コラムへのリンク追加)


パニックは容易に起きない(静岡新聞コラム「時評」2011.5.18)


 この震災に関連した世の中や身の回りの人々の反応や動きを観察していて気づいたことのひとつが、いかにリスクに関する情報を伏せたり、出し渋ったりする人が多いかです。そのことが、かえって多くの住民に不安を与え、場合によっては命や健康を危険にさらす結果となっているように思います。こうした危機感から、ツイッター上でいくつかの意見や情報を流してきましたが、以下にそれを整理した形でまとめます。新たに文章を起こしている時間がないので、他の文献からの抜粋によって構成されていることをお許しください。
(なお、ここでは主に流言・デマとパニックの関係について述べます。流言・デマと「風評被害」の関係はここで述べるパニックとは別の問題であるため、ここでは扱いません。風評被害の研究の第一人者である関谷直也さんのページ等を参照願います。関谷さんのページにも情報とパニックに関する解説があります)

1.情報によるパニックを過度に恐れない
 災害情報を不用意に流すことによってパニックが起きるという根強い偏見が,とくに行政担当者や科学者・ジャーナリストの一部にあることが,心理学者によってたびたび指摘されている.この偏見は「パニック神話」「パニック幻想」などと呼ばれる(たとえば,岡本,1992;広瀬,2004).吉川(1999)もこの点を指摘しており,むしろ情報を知りたいという住民のニーズに対して迅速に十分な情報を提供することによって,パニックや混乱を防ぐことができる点を強調している.(文献2からの抜粋)

リスクに対する異常な鈍感さ(文献2からの抜粋)
 リスクに対する鈍感さは,基礎知識や災害観の欠如だけからもたらされるわけではなく,人の心の働きとして本来備わっている性質でもある.ある範囲までの異常は正常の範囲内のものとして心的処理をおこなうメカニズムを,人間の誰もが多かれ少なかれ備えているのである.この心的メカニズムはnormalcy biasと呼ばれており,正常性バイアス(広瀬,2004)あるいは正常化の偏見(三上,1982)と訳されている.

避難遅らす「正常性バイアス」 広瀬弘忠・東京女子大教授(正常性バイアスについてのわかりやすい記事)

避難しない人々(文献3からの抜粋)
 自然災害に対する人々の考え方や行動を調べた研究の成果は、身近に起こりうる災害に対して、人々がきわめて鈍感であることを明らかにしている。災害が起こると警告されてもそれに備えることはきわめて少ない。こうした傾向は心理学的には非現実的な楽観主義と呼ばれる。
 この傾向は災害が実際に起こった時も同様である。人々は災害時には当局からの指示にしばしば従わず、避難を行わない。このことが起こる理由として、自分の持ち物や財産を気にすること、現実にはほとんど起こらない略奪を気にすること、公共の避難所に対する悪印象、避難のための手がかり(目印など)が見つけられない、知らせが届かない人々が一定数いる、などがあげられる。
 災害に出くわして逃げまどう人々の姿をわれわれはしばしば映画で目にする。この記憶があるからか、災害というと「パニックが起こる」と思われていることが多い。しかし、現実にはパニックが起こることはきわめてまれである。よりありそうな現実は、先に述べたように、災害に備えることもないし、出くわしてもなかなか避難しない人々の姿である。
 もちろん、パニックが全く起こらないというわけでない。パニックが起こる条件として、以下の3つがそろうことが指摘されている。
 ・身近に迫った重大な危険があると感じること
 ・早く脱出しなければ使えなくなってしまう限られた数の脱出ルートがある
  と感じること。
 ・状況についての情報がないこと
 このような条件が3つともそろうことはそれほどないだろうから、パニックが起こることを前提とするよりも、起こらないことを前提として災害に対する計画を立てた方が現実的である。
 一方で3つの条件がそろう可能性が予測できる災害の場合には、どれか1つでも条件が整わないようにあらかじめ計画しておくということが重要になる。たとえば、脱出ルートが数少ない場合には他のルートを確保する、情報が途絶しないような仕組みを考える、などである。

社会的増幅を防ぐために(文献4からの抜粋)
 一般の人々が過度に不安にならないように,従来とられてきた情報戦略とは,リスク専門家が情報の取捨選択をして,「住民が不安がる」とか「不要な混乱を招く」ことがないよう,リスク情報を伝えることであろう.そうすることによって,リスクの社会的増幅が防げると,おそらくは信じられてきたと推測できる.しかし,リスクの社会的増幅を招くものは,そもそも人々の不安や疑念ではない(中略)人々は情報を求めているのだから,そのニーズに迅速に対応しないことが,スティグマ化や不信,うわさの発生を招くのである.科学的に正確な情報を伝えることだけでは,社会的増幅を防ぐ手段とはなり得ない.ましてや,パニックを恐れて情報を隠蔽することは,社会的増幅を防ぐことにはつながらない.むしろ,情報を伝えることによってパニックが防げるのである.(p.151-152)

2.受け手を安心させる情報
 単にリスクが大きい小さいという情報だけで,市民に十分な安心感を与えることはできない.そのリスクがいかに管理されているかという情報を伝えて初めて,住民の安心や信頼を得られることが説かれている.(文献2からの抜粋)

組織外環境に配慮すること(文献4からの抜粋)
 リスク・コミュニケーションにおいては,それにかかわる組織は,リスク情報を伝えるだけでなく,組織としていかにリスクを管理しているかについての情報をも,伝えることが求められている.単にリスクが小さいとか,安全であるというだけでは,情報としては十分でない.どのようにリスクを管理しているから安全だといえるのか,また事故が起こった場合にはどんな対応がとられるようになっているのか,などについての情報が必要とされる.(p.140)

3.情報源はひとつにすべきか
 吉川(2003)は,Mileti and Peek (2000)の研究を紹介し,危機管理の専門家が市民の反応に対してもっている以下の7つの見識,すなわち
 (1)人々はパニックを起こす
 (2)警告は短くすべき
 (3)誤報を出すことは一方的に悪いことである
 (4)情報源は1つにすべき
 (5)人々は警報の後直ちに防衛行動をとる
 (6)人々は理由付けがなくても指示に従う
 (7)人々はサイレンの意味がわかる
すべて誤解(神話)であると指摘している.とくに(4)については,「危機に直面した人々は,多様な情報源からの情報を求めている.多様な情報源からの一貫した情報を得ることによって,1)警報の意味と状況を理解し,2)警報の内容を信じる,という2つのことが可能になるのである」と解説されている.
  これに対し,藤井(2005)は,専門知識が乏しく判断能力に欠ける防災行政担当者にとって,相反する情報の存在は思考停止と無作為を招くので望ましくないとの見解を示している.Mileti and Peek (2000)は,多様な情報源中に相反するメッセージがあることは市民にとっても望ましくないとしている.しかし,藤井は,インターネットが普及した現在において情報源の単一化は不可能であるとも認識し,気象庁や予知連が良質の情報を迅速に発表していくことの重要性を説いている.(文献2からの抜粋)

参考リンク:

1.リスクを市民に伝達する役目を負うすべての専門家へ

2.火山に関する知識・情報の伝達と普及-減災の視点でみた現状と課題

3.低頻度大規模災害リスクをどう伝えるか

4.吉川肇子「リスクとつきあう」有斐閣選書,2000年,230頁


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